第①章 出会い
第9話 書店にて
地下鉄経由で葛西に戻った頃には、空は濃厚な灰色の曇り空に変わっていた。しかし天気がどうなろうと早く帰る必要はないのだ。僕は葛西駅前の書店に入った。暇つぶしが目的だった。
書店に入り、旅行雑誌が並んでいるコーナーを何気なく歩いていると、『カップルで行く東京デートスポット・おススメ特集』という表題の雑誌が目に留まった。だけどすぐに目を逸らした。
こんな特集の雑誌なんて、カノジョがいない僕が見てもしょうがないじゃないか。でも・・
僕は視線を先ほどの雑誌に戻すと、それを手に取ってパラパラとページをめくってみる。
お台場、東京タワー、品川水族館・・
誰でも知っている場所ばかりじゃないか。だけど、これらの場所がデートスポットだと知ってしまったら、もう独りでは行けないな。もし独りでデートスポットを訪れてしまった日には、周りはカップルだらけで、僕は逃げるようにその場を立ち去らなければいけない。カップルだらけの場所でカノジョのいない男が独りで歩いているなんて恥ずかしすぎるからだ。だけど、もしカノジョがいたらお台場デートなんか楽しくてしょうがないだろうな。
カノジョと二人で乗るお台場の観覧車、レインボーブリッジなど東京湾岸の美しい夜景をカノジョと肩を寄せ合って眺める。そしてそんな夜景を眺めながらのレストランでの食事。僕はワイングラスを傾けながらカノジョと微笑ましく見つめ合う。そんなロマンティックな食事を終えたあとは、もちろんホテルへ。そしてベッドの上で激しく愛し合うのだ・・。
蛍光灯の照明がやたら明るく感じられる店内で、僕は雑誌を開いて見入ったまま、ロマンティックな妄想に耽った。
よし、必ずカノジョをつくるぞ。
心の中で改めて意を決した僕は、雑誌をパタンと閉じると本棚へと戻した。そして書店を出ようと店の出入口へと向かった。
そのとき、書店の出入口の自動ドアが開き、女子大生と思われる可愛い女性が現れた。ロングヘアの黒髪で白い清楚な感じのワンピースを着ている、まさに僕好みの美女だ。しかしそんな僕好みの美女は、目の前にいる僕を一瞥さえしないで僕の側を通り過ぎて行った。書店の自動ドアを抜けて外へ出た僕は、ため息をついた。
せっかくこうして僕好みの美女を見かけても、何もできやしない。声をかけようにも理由がない。ナンパの達人ならなんとかできるのだろうけど、僕には、そのノウハウも度胸もない。
学生の頃は同級生の女子と仲良くなれる機会は幾らでもあったし恋をするチャンスにも恵まれていた。しかし知人が極めて少ない東京での独り暮らしのなかでは、出会いの機会なんてほとんどない。それに、職場に好みのタイプの女性がいる可能性は高いとは言えない。仮にいたとしても、カレシがいる可能性は高い。カレシがいないとしても、必ずしも友達としてのスタート・ラインに立てるとも限らない。例え友達になれたとしても、彼女にとって僕は好みのタイプではないかもしれない。
こうして考えてみると、好みのタイプの女性と知り合うこと自体が奇跡であり、さらに多くの偶然と段階を経て恋人同士の関係にまで発展させるには、奇跡以上の奇跡が必要になる。
まさに“運命”でなければいけないのだ。
しかし運命の出逢いなんてそうそうあるものではない。一生に一度か二度、あっても三度くらいのものか。
何をもって運命の出逢いと位置付けるかによるけれど、仮に運命の出逢いというものが一目惚れによる出逢いだとするのなら、そのような運命の出逢いは二年前に起きていた・・
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は10月3日の予定です)
☆
第9話 書店にて
地下鉄経由で葛西に戻った頃には、空は濃厚な灰色の曇り空に変わっていた。しかし天気がどうなろうと早く帰る必要はないのだ。僕は葛西駅前の書店に入った。暇つぶしが目的だった。
書店に入り、旅行雑誌が並んでいるコーナーを何気なく歩いていると、『カップルで行く東京デートスポット・おススメ特集』という表題の雑誌が目に留まった。だけどすぐに目を逸らした。
こんな特集の雑誌なんて、カノジョがいない僕が見てもしょうがないじゃないか。でも・・
僕は視線を先ほどの雑誌に戻すと、それを手に取ってパラパラとページをめくってみる。
お台場、東京タワー、品川水族館・・
誰でも知っている場所ばかりじゃないか。だけど、これらの場所がデートスポットだと知ってしまったら、もう独りでは行けないな。もし独りでデートスポットを訪れてしまった日には、周りはカップルだらけで、僕は逃げるようにその場を立ち去らなければいけない。カップルだらけの場所でカノジョのいない男が独りで歩いているなんて恥ずかしすぎるからだ。だけど、もしカノジョがいたらお台場デートなんか楽しくてしょうがないだろうな。
カノジョと二人で乗るお台場の観覧車、レインボーブリッジなど東京湾岸の美しい夜景をカノジョと肩を寄せ合って眺める。そしてそんな夜景を眺めながらのレストランでの食事。僕はワイングラスを傾けながらカノジョと微笑ましく見つめ合う。そんなロマンティックな食事を終えたあとは、もちろんホテルへ。そしてベッドの上で激しく愛し合うのだ・・。
蛍光灯の照明がやたら明るく感じられる店内で、僕は雑誌を開いて見入ったまま、ロマンティックな妄想に耽った。
よし、必ずカノジョをつくるぞ。
心の中で改めて意を決した僕は、雑誌をパタンと閉じると本棚へと戻した。そして書店を出ようと店の出入口へと向かった。
そのとき、書店の出入口の自動ドアが開き、女子大生と思われる可愛い女性が現れた。ロングヘアの黒髪で白い清楚な感じのワンピースを着ている、まさに僕好みの美女だ。しかしそんな僕好みの美女は、目の前にいる僕を一瞥さえしないで僕の側を通り過ぎて行った。書店の自動ドアを抜けて外へ出た僕は、ため息をついた。
せっかくこうして僕好みの美女を見かけても、何もできやしない。声をかけようにも理由がない。ナンパの達人ならなんとかできるのだろうけど、僕には、そのノウハウも度胸もない。
学生の頃は同級生の女子と仲良くなれる機会は幾らでもあったし恋をするチャンスにも恵まれていた。しかし知人が極めて少ない東京での独り暮らしのなかでは、出会いの機会なんてほとんどない。それに、職場に好みのタイプの女性がいる可能性は高いとは言えない。仮にいたとしても、カレシがいる可能性は高い。カレシがいないとしても、必ずしも友達としてのスタート・ラインに立てるとも限らない。例え友達になれたとしても、彼女にとって僕は好みのタイプではないかもしれない。
こうして考えてみると、好みのタイプの女性と知り合うこと自体が奇跡であり、さらに多くの偶然と段階を経て恋人同士の関係にまで発展させるには、奇跡以上の奇跡が必要になる。
まさに“運命”でなければいけないのだ。
しかし運命の出逢いなんてそうそうあるものではない。一生に一度か二度、あっても三度くらいのものか。
何をもって運命の出逢いと位置付けるかによるけれど、仮に運命の出逢いというものが一目惚れによる出逢いだとするのなら、そのような運命の出逢いは二年前に起きていた・・
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は10月3日の予定です)
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第①章 出会い
第8話 エース・パイロット
新宿駅で下車した僕は、歌舞伎町にある行きつけのゲームセンターへ入った。そこには、いま夢中になっているシューティング・ゲームがあるのだ。それは戦闘機のコクピットに似た形をした座席に座って操縦桿を制御しながら、まるで戦闘機で空中戦を行っているような感覚を味わえる体感ゲームでもあるのだ。
僕は、この戦闘機の体感ゲームが大好きで得意でもあった。そして、常にスコアはトップだったので、このゲームを終えると自信に溢れて満足感を味わうことができるのだ。
そう、このゲーム世界における僕は、他の追随を許さないエース・パイロットなのだ。
そんなエース・パイロットの僕は、ゲームセンター店内で可愛い女性店員を見つけた。
女性店員の髪は茶色かかった黒髪で肩あたりまで伸びている。少しばかりシャープな印象がありながらも大きくて綺麗な瞳、まさに僕の好みのタイプだ。
そんな女性店員は赤と黄の明るい色彩の制服を着て、おとなしそうにカウンターに立っていた。
可愛いな、と思いながらカウンターから離れた場所で女性店員を眺めていると、僕の視線に気づいた彼女と目が合った。目が合って動揺した僕に対して、女性店員は微笑みながら軽く会釈をしてくれた。僕も照れ笑いを浮かべながら軽く会釈を返した。
もしかしたらあの子、僕に気があるのかもしれない。
なんとか仲良くなりたい。話しかけてみようかな?だけどいま彼女は仕事中だから話しかけるのは気が引けるし、周りからナンパしていると思われるのは恥ずかしい。だったらメル友になってくれるようにお願いしてみよう。彼女がメル友になってくれたら、あとはメールを交わし続けるだけで仲良くなれるだろう。
僕は背負っているリュックサックからメモ帳とペンを取り出した。ちなみにこのリュックサックは、仕事先へ必ず持っていくこともあり、メモ帳やペンなどが常備されているのだ。
僕は取り出したメモ帳を開いて自分のメールアドレスを書き込むと、そのページを指先でちぎった。そしてそれを手にカウンターの女性店員に近づくとおもむろに差し出した。
「よかったらメールください」
緊張で顔を少し強張らせた笑顔でそう伝えながら、メールアドレスが書かれたメモ帳の切れ端を女性店員に渡した。それを受け取った女性店員は黙ってメモ帳の切れ端を見つめた。そんな様子を認めた僕は、恥ずかしさのあまり足早にカウンターから離れたのだった。
急ぎ足でカウンターから離れて数秒後、僕は振り向いて女性店員の反応をうかがってみた。すると、なんと女性店員は、僕が渡したばかりのメモ帳の切れ端を、無表情のまま無造作に丸めてカウンター脇のゴミ箱に捨ててしまったではないか。僕はショックで唖然としたけれど、すぐに我を取り戻してゲームセンターの出入り口に向かって足早に歩き始めた。僕の心の中は屈辱感でいっぱいになった。
こうして、先ほどまで自信に溢れていたエース・パイロットは、いとも簡単に“撃墜”されて心まで折れてしまったのだった。
“撃墜”されてから三十分後、僕は人気(ひとけ)の少ない新宿中央公園のベンチに座っていた。そして、ぼんやりと正面を見つめたまま、先ほどのゲームセンターでの出来事を思い返していた。
てっきりあの女性店員は僕に気があると思っていたのに・・。僕に投げかけてくれた笑顔は単なる営業スマイルだったのか。これだからうわべだけの営業スマイルは嫌いなんだ。勘違いしてしまうから。
僕は黙って空を見上げた。公園内の木々の合間に見える空には、いつのまにか灰色かかった大きな雲が認められた。
さっきまであんなに晴れていたのに曇ってきたぞ・・。
だらしなく口をぽかんと開けて曇りゆく空を見上げていると、僕の目の前を、男女のカップルが手をつないで幸せそうな雰囲気を醸し出しながら通り過ぎて行った。
そんなカップルの後ろ姿を黙って見つめていた僕は、大きくため息をついて頭を垂れた。すると僕の靴の近くでアリが一匹、落ち着きなさそうに右往左往しながら歩いているのを見つけた。そんなアリを見つめていると、なんだか自分自身を見ているようで情けなくなってしまった。
「帰ろう・・」
僕はひとり呟くと、足元のアリを潰さないように気をつけながら立ち上がった。そして新宿駅へ向かって歩き始めたのだった。
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は9月30日の予定です)
☆
第8話 エース・パイロット
新宿駅で下車した僕は、歌舞伎町にある行きつけのゲームセンターへ入った。そこには、いま夢中になっているシューティング・ゲームがあるのだ。それは戦闘機のコクピットに似た形をした座席に座って操縦桿を制御しながら、まるで戦闘機で空中戦を行っているような感覚を味わえる体感ゲームでもあるのだ。
僕は、この戦闘機の体感ゲームが大好きで得意でもあった。そして、常にスコアはトップだったので、このゲームを終えると自信に溢れて満足感を味わうことができるのだ。
そう、このゲーム世界における僕は、他の追随を許さないエース・パイロットなのだ。
そんなエース・パイロットの僕は、ゲームセンター店内で可愛い女性店員を見つけた。
女性店員の髪は茶色かかった黒髪で肩あたりまで伸びている。少しばかりシャープな印象がありながらも大きくて綺麗な瞳、まさに僕の好みのタイプだ。
そんな女性店員は赤と黄の明るい色彩の制服を着て、おとなしそうにカウンターに立っていた。
可愛いな、と思いながらカウンターから離れた場所で女性店員を眺めていると、僕の視線に気づいた彼女と目が合った。目が合って動揺した僕に対して、女性店員は微笑みながら軽く会釈をしてくれた。僕も照れ笑いを浮かべながら軽く会釈を返した。
もしかしたらあの子、僕に気があるのかもしれない。
なんとか仲良くなりたい。話しかけてみようかな?だけどいま彼女は仕事中だから話しかけるのは気が引けるし、周りからナンパしていると思われるのは恥ずかしい。だったらメル友になってくれるようにお願いしてみよう。彼女がメル友になってくれたら、あとはメールを交わし続けるだけで仲良くなれるだろう。
僕は背負っているリュックサックからメモ帳とペンを取り出した。ちなみにこのリュックサックは、仕事先へ必ず持っていくこともあり、メモ帳やペンなどが常備されているのだ。
僕は取り出したメモ帳を開いて自分のメールアドレスを書き込むと、そのページを指先でちぎった。そしてそれを手にカウンターの女性店員に近づくとおもむろに差し出した。
「よかったらメールください」
緊張で顔を少し強張らせた笑顔でそう伝えながら、メールアドレスが書かれたメモ帳の切れ端を女性店員に渡した。それを受け取った女性店員は黙ってメモ帳の切れ端を見つめた。そんな様子を認めた僕は、恥ずかしさのあまり足早にカウンターから離れたのだった。
急ぎ足でカウンターから離れて数秒後、僕は振り向いて女性店員の反応をうかがってみた。すると、なんと女性店員は、僕が渡したばかりのメモ帳の切れ端を、無表情のまま無造作に丸めてカウンター脇のゴミ箱に捨ててしまったではないか。僕はショックで唖然としたけれど、すぐに我を取り戻してゲームセンターの出入り口に向かって足早に歩き始めた。僕の心の中は屈辱感でいっぱいになった。
こうして、先ほどまで自信に溢れていたエース・パイロットは、いとも簡単に“撃墜”されて心まで折れてしまったのだった。
“撃墜”されてから三十分後、僕は人気(ひとけ)の少ない新宿中央公園のベンチに座っていた。そして、ぼんやりと正面を見つめたまま、先ほどのゲームセンターでの出来事を思い返していた。
てっきりあの女性店員は僕に気があると思っていたのに・・。僕に投げかけてくれた笑顔は単なる営業スマイルだったのか。これだからうわべだけの営業スマイルは嫌いなんだ。勘違いしてしまうから。
僕は黙って空を見上げた。公園内の木々の合間に見える空には、いつのまにか灰色かかった大きな雲が認められた。
さっきまであんなに晴れていたのに曇ってきたぞ・・。
だらしなく口をぽかんと開けて曇りゆく空を見上げていると、僕の目の前を、男女のカップルが手をつないで幸せそうな雰囲気を醸し出しながら通り過ぎて行った。
そんなカップルの後ろ姿を黙って見つめていた僕は、大きくため息をついて頭を垂れた。すると僕の靴の近くでアリが一匹、落ち着きなさそうに右往左往しながら歩いているのを見つけた。そんなアリを見つめていると、なんだか自分自身を見ているようで情けなくなってしまった。
「帰ろう・・」
僕はひとり呟くと、足元のアリを潰さないように気をつけながら立ち上がった。そして新宿駅へ向かって歩き始めたのだった。
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は9月30日の予定です)
☆
第①章 出会い
第7話 内面の美しさ
“りな”の件で重い気持ちになっていた僕は、ゲームセンターへ行くことにした。
ケータイをジーンズの後ろポケットに突っ込み、ワンルームの玄関からアパート三階の通路に出る。ふと空を見上げると真っ青で雲ひとつなかった。
まさに快晴。
五月初旬の気候は穏やかで、暑さをあまり気にしないで外出できる。こんな爽やかな天気の日は、まさに外出日和、デート日和だ。
こんな日は可愛い女の子とデートしたいな。でも誘える女の子さえ、いない。
アパートの金属製の階段をコンコンと音を立てて下りながら“りな”のことを思い出してしまった僕は、頭上の素晴らしい青空のことなどすぐに忘れてしまった。そして再び彼女のことばかりを考えてしまい気持ちが暗くなったのだった。
南葛西のアパートを離れた僕は、近所のレクリエーション公園を横切ると環七通りの歩道に出た。
東西に延びるレクリエーション公園と南北に延びる環七通りが交わる交差点にはドーナツ屋がある。僕はドーナツ屋を認めると歩きながら懐かしげにそれを見つめた。
去年までアルバイトをしていたドーナツ屋。あの頃に好きだった仕事仲間のあの子は、新しい職場で元気にしているかな。とても可愛くて客や従業員からも人気があったから、今頃は新しいカレシができているんだろな・・
ドーナツ屋でアルバイトしていた頃の、あの年下女性との“恋の駆け引き”を思い出してひとり微笑みつつも、それに失敗して告白もできずに終わってしまった切ない恋の結末を思い出して苦い気持ちになった。
あぁ、せっかく気持ち良く広がる青空の下を歩いているのに気持ちが暗くなるばかりじゃん。とにかく葛西臨海公園の駅を目指そう。
僕は黙々と歩き続けた。
僕が住むアパートは、地下鉄東西線・葛西駅とJR京葉線・葛西臨海公園駅のちょうど中間あたりにあった。だからどちらの駅から利用しても都心へ行ける。
今日は新宿のゲームセンターまで行くことに決めていたので、本来なら葛西駅から東西線を利用するのが手っ取り早い。しかし今日は、あえて葛西臨海公園駅からJRで新宿まで行くことにした。
物思いに沈みたいときは、車窓を流れる景色を見つめながら移動するに限る。そんな理由からだった。
京葉線電車に乗り、乗降ドアにもたれかかるように突っ立っていた僕は、京葉線と並行して走っている首都高速湾岸線を行き交う車をぼんやりと見つめていた。
考えることといえば、メル友の“りな”を相手にエッチ話を持ちかけてしまったという後悔ばかり。もうそんなことを考えたくないのに、いつまでもクヨクヨと考えてしまうのが僕の悪いところなのだ。
やがて電車は潮見駅を過ぎて地下へと潜り、車窓には暗く沈んだ男の顔が映った。
なんて暗い顔をしてるんだろう。
そんな自分の表情なんて見たくない僕は、背負っているリュックサックから文庫本を取り出すと、とりあえず読み始めた。
文庫本は中国の歴史の本。
僕は、歴史や戦記物の書籍が好きなので愛読している。だけど、小説、とくに恋愛小説にはまったく興味がないから読まない。
そもそも他人の恋愛には、あまり興味がないのだ。恋愛小説に限らず、恋愛を扱ったドラマや映画にもあまり興味がない。そして、街で仲睦まじい恋人たちを見かけると、嫉妬心で腹が立って顔をそむけてしまうありさまなのだ。
だからといって僕にまったく恋愛経験がないわけではない。小学生の頃からそれなりの恋愛経験はしてきた。しかしそれは決して多くはなかった。
せっかく開いた歴史の文庫本も、頭の中に延々と湧いてくる雑念のせいで集中して読むことができず、すぐに閉じてしまったのだった。
東京駅で京葉線電車を降りた僕は、長い通路を歩いて地上のホームに出た。そして山手線電車に乗ると新宿へ向かった。
今日は日曜日だけあって、やっぱりカップルが多い。おしゃれな服装のカップルたち、まさに流行の最先端を行っている感じだ。
電車内で、目の前にいるカップルをチラチラと見ながら、僕はチャットでの話題に乗れないばかりか、流行のファッションにも乗り遅れているのだと感じて暗い気持ちになった。しかし僕は、流行やおしゃれにはあまり興味を持てないのだ。ましてやアクセサリーを身につけることに意味を感じられない。外見だけ飾って何が良いのだろうと思ってしまう。
人間は内面の美しさが大切なんだ。
外見的なおしゃれだけして内面が美しくなければ虚しいだけじゃないか。
僕は、そんな批判を込めた冷たい視線で目の前のカップルを見続けた。するとカップルの男性と目が合ったので僕は慌てて目を逸らした。
内面の美しさが大切だと言っている僕も、内面が美しいとは言いきれない。メル友づくりに励んでいる理由なんて、正直言って、ただ女の子と“やりたい”だけじゃないか。だからメル友だった“りな”にエッチ話を持ちかけて嫌われるんだよ。女の子だって馬鹿じゃない。相手にしている男が下心を抱いているとわかればすぐに拒絶するだろう。だけど、たかがエッチ話を持ちかけただけじゃないか。いきなりメールアドレスを変えるなんて酷すぎる。
そう思った途端、僕は“りな”に対して腹が立ってきた。
まぁ、いいや。“りな”なんてどうせ可愛くないに決まってる。実際に会ったとしてもガッカリするだけだ。あんなのとは関わらなくて良かったんだ。
ついに僕は、自分の失敗を棚に上げて怒りの矛先を“りな”に向けて、陰湿になってしまったのだった。そしてすぐにそんな自分の姿に気づいた。
これでは僕も、内面が美しいとは言えないよな、絶対。
僕は、すっかり自己嫌悪に陥ってうつむいてしまったのだった。
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は9月27日の予定です)
☆
第7話 内面の美しさ
“りな”の件で重い気持ちになっていた僕は、ゲームセンターへ行くことにした。
ケータイをジーンズの後ろポケットに突っ込み、ワンルームの玄関からアパート三階の通路に出る。ふと空を見上げると真っ青で雲ひとつなかった。
まさに快晴。
五月初旬の気候は穏やかで、暑さをあまり気にしないで外出できる。こんな爽やかな天気の日は、まさに外出日和、デート日和だ。
こんな日は可愛い女の子とデートしたいな。でも誘える女の子さえ、いない。
アパートの金属製の階段をコンコンと音を立てて下りながら“りな”のことを思い出してしまった僕は、頭上の素晴らしい青空のことなどすぐに忘れてしまった。そして再び彼女のことばかりを考えてしまい気持ちが暗くなったのだった。
南葛西のアパートを離れた僕は、近所のレクリエーション公園を横切ると環七通りの歩道に出た。
東西に延びるレクリエーション公園と南北に延びる環七通りが交わる交差点にはドーナツ屋がある。僕はドーナツ屋を認めると歩きながら懐かしげにそれを見つめた。
去年までアルバイトをしていたドーナツ屋。あの頃に好きだった仕事仲間のあの子は、新しい職場で元気にしているかな。とても可愛くて客や従業員からも人気があったから、今頃は新しいカレシができているんだろな・・
ドーナツ屋でアルバイトしていた頃の、あの年下女性との“恋の駆け引き”を思い出してひとり微笑みつつも、それに失敗して告白もできずに終わってしまった切ない恋の結末を思い出して苦い気持ちになった。
あぁ、せっかく気持ち良く広がる青空の下を歩いているのに気持ちが暗くなるばかりじゃん。とにかく葛西臨海公園の駅を目指そう。
僕は黙々と歩き続けた。
僕が住むアパートは、地下鉄東西線・葛西駅とJR京葉線・葛西臨海公園駅のちょうど中間あたりにあった。だからどちらの駅から利用しても都心へ行ける。
今日は新宿のゲームセンターまで行くことに決めていたので、本来なら葛西駅から東西線を利用するのが手っ取り早い。しかし今日は、あえて葛西臨海公園駅からJRで新宿まで行くことにした。
物思いに沈みたいときは、車窓を流れる景色を見つめながら移動するに限る。そんな理由からだった。
京葉線電車に乗り、乗降ドアにもたれかかるように突っ立っていた僕は、京葉線と並行して走っている首都高速湾岸線を行き交う車をぼんやりと見つめていた。
考えることといえば、メル友の“りな”を相手にエッチ話を持ちかけてしまったという後悔ばかり。もうそんなことを考えたくないのに、いつまでもクヨクヨと考えてしまうのが僕の悪いところなのだ。
やがて電車は潮見駅を過ぎて地下へと潜り、車窓には暗く沈んだ男の顔が映った。
なんて暗い顔をしてるんだろう。
そんな自分の表情なんて見たくない僕は、背負っているリュックサックから文庫本を取り出すと、とりあえず読み始めた。
文庫本は中国の歴史の本。
僕は、歴史や戦記物の書籍が好きなので愛読している。だけど、小説、とくに恋愛小説にはまったく興味がないから読まない。
そもそも他人の恋愛には、あまり興味がないのだ。恋愛小説に限らず、恋愛を扱ったドラマや映画にもあまり興味がない。そして、街で仲睦まじい恋人たちを見かけると、嫉妬心で腹が立って顔をそむけてしまうありさまなのだ。
だからといって僕にまったく恋愛経験がないわけではない。小学生の頃からそれなりの恋愛経験はしてきた。しかしそれは決して多くはなかった。
せっかく開いた歴史の文庫本も、頭の中に延々と湧いてくる雑念のせいで集中して読むことができず、すぐに閉じてしまったのだった。
東京駅で京葉線電車を降りた僕は、長い通路を歩いて地上のホームに出た。そして山手線電車に乗ると新宿へ向かった。
今日は日曜日だけあって、やっぱりカップルが多い。おしゃれな服装のカップルたち、まさに流行の最先端を行っている感じだ。
電車内で、目の前にいるカップルをチラチラと見ながら、僕はチャットでの話題に乗れないばかりか、流行のファッションにも乗り遅れているのだと感じて暗い気持ちになった。しかし僕は、流行やおしゃれにはあまり興味を持てないのだ。ましてやアクセサリーを身につけることに意味を感じられない。外見だけ飾って何が良いのだろうと思ってしまう。
人間は内面の美しさが大切なんだ。
外見的なおしゃれだけして内面が美しくなければ虚しいだけじゃないか。
僕は、そんな批判を込めた冷たい視線で目の前のカップルを見続けた。するとカップルの男性と目が合ったので僕は慌てて目を逸らした。
内面の美しさが大切だと言っている僕も、内面が美しいとは言いきれない。メル友づくりに励んでいる理由なんて、正直言って、ただ女の子と“やりたい”だけじゃないか。だからメル友だった“りな”にエッチ話を持ちかけて嫌われるんだよ。女の子だって馬鹿じゃない。相手にしている男が下心を抱いているとわかればすぐに拒絶するだろう。だけど、たかがエッチ話を持ちかけただけじゃないか。いきなりメールアドレスを変えるなんて酷すぎる。
そう思った途端、僕は“りな”に対して腹が立ってきた。
まぁ、いいや。“りな”なんてどうせ可愛くないに決まってる。実際に会ったとしてもガッカリするだけだ。あんなのとは関わらなくて良かったんだ。
ついに僕は、自分の失敗を棚に上げて怒りの矛先を“りな”に向けて、陰湿になってしまったのだった。そしてすぐにそんな自分の姿に気づいた。
これでは僕も、内面が美しいとは言えないよな、絶対。
僕は、すっかり自己嫌悪に陥ってうつむいてしまったのだった。
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は9月27日の予定です)
☆
第①章 出会い
第6話 自問自答
翌朝、通勤電車に乗りながら“りな”に『おはよう』メールを送ってみた。しかし一時間たっても返信はなかった。いつもなら『おはよう』メールをすれば三十分以内には返信があるものなのに。
その後、職場での昼休みにメールのチェックをしてみたけれど“りな”からの返信はなかった。
僕は次第に焦りを感じてきた。
もしかしたら“りな”は殺人事件に遭って誰にも発見されずに室内で倒れているのかもしれない。それが理由でメールの返信がないのかも。それは大袈裟か。もしくはケータイをトイレに落として使用不能になったとか?それとも、実は“りな”にはカレシがいて、僕とのメールがカレシに見つかってしまい返信できなくなったのかもしれない。
考えられる限りのことを推測しながら、僕は“りな”からのメールの返信がないことへの不安を打ち消そうとしたのだった。
アルバイトを終えてアパートに帰宅したあと、不安に駆られてどうしようもなくなった僕は、もう一度“りな”にメールを送信することにした。
『昨夜に送ったメールの返信がないけど何かあったの?』
結局、その日の夜も“りな”からの返信はなかった。
よく考えてみたら、エッチな話をしようという内容のメールを送信した以降の返信がないわけだから、それが原因なのかもしれない。
翌日の日曜日は、アルバイトが休み。
目覚ましアラームをセットしていなかった僕は、朝十時すぎに目を覚ました。目を覚ますと、ベッドに横たわったままケータイを手に取って開いた。するとケータイ画面にはメール着信を示すメールマークが表示されていた。
やっと来た!と心の中で嬉しい叫び声をあげながらメールの確認をしてみる。
『元気だよ』
元気だよ?
それは“りな”からのメールではなく、一昨日の夜に送った岩手のメル友からの返信だった。
それを見てガクリと気持ちが落ち込んだ僕は、岩手のメル友からの返信メールに八つ当たりするかのように即刻削除した。そのあとすぐに新着メールの問い合わせを行ってみたけれど“りな”からのメールはおろか誰からのメールもなかった。
もう一度メールをしてみよう。
自分でもしつこいなと思ったものの“りな”のメールアドレスしか知らない状況では何度でもメールを送ってみるしかなかった。そして何よりも僕は、強い焦燥感と妙な胸騒ぎを覚えていたのだった。
『おはよう、今日はバイトは休みだよ』
当たり障りのない挨拶メールを“りな”に送信してみた。すると意外にも即座にメールの返信があった。僕は息をするのも忘れるほどに着信メールに飛びついた。そしてすぐにメールを開く。
『送信先のメールアドレスが見つからないためメールを送信できませんでした。メールアドレスをご確認の上、再送信してください』
何だこれは?アドレスを間違えたのかな?
念のため“りな”のメールアドレスを慎重に確認して再び送信してみた。するとまた即座にメールの返信があり、それはやっぱり先ほどと同じメール送信不可のメッセージだった。
二度目のメール送信不可のメッセージを確認した僕は、頭から血の気が引いていくのを感じた。
もしかしてメールアドレスを変えられた?変えられたに違いない。
りなに拒絶された。嫌われたんだ・・。やっぱり、いきなりエッチな話を持ちかけたのがいけなかったんだ。これでは僕は、ただの変態ではないか。“りな”にとって変態という存在のままで終わりたくない。せめて謝るだけでも謝っておこう。そうすれば許してくれて、またメールを交わせるようになるかもしれない。とりあえず“りな”と知り合ったメル友募集掲示板で彼女を探してみよう。
僕はすぐにメル友募集掲示板にアクセスすると“りな”の書き込みを探した。
およそ三十人ほどの女性によるハンドルネームが表示されているケータイ画面を、慌ただしく上下にスクロールさせてみた。しかし“りな”の名前は見当たらなかった。もしかしたらハンドルネームを変えて、別の名前で書き込んでいるのかもしれないと思い、“りな”と同じ大阪在住の女性の名前を数件チェックしてみた。
しかし“りな”の特徴である明るく丁寧な表現の文章は見当たらず、彼女と特定できそうな女性を見つけることはできなかった。
終わった・・。メル友“りな”は消えた。“りな”は、きっと真面目な女性だったんだ。それなのに僕は、少しくらいメールで彼女と親しくなったという理由だけでエッチなメールを交わせるはずだと勘違いをしていた。だけど、大半の女性はエッチな話は嫌いじゃないはずだ。“りな”だって例外ではないはず。ということはエッチな話を持ちかけたのは時期尚早だったんだ。いや、そういう問題なのか?
ベッドの上でケータイを片手に胡坐をかいて固まっていた僕は、そんな自問自答を繰り返した。ベッドを離れてシャワーを浴びながらでも、エッチ話は早すぎた、エッチ話は早すぎた、と僕の頭の中で何度もリフレインされたのだった。
(次回、小説『ネット恋愛』の更新は9月24日の予定です)
☆
第①章 出会い
第5話 大阪のメル友
僕は手始めに、十件の女性を選んで簡潔なコメントを残した。彼女たちの住まいは東北、関東、東海、関西、九州など全国各地に及んでいた。やがてそれら十件のうち、六件から返信があった。返信確率としては上出来なほうだ。
しかし返信があったからといって喜ぶのはまだ早い。六件の返信があってもメールアドレスを聞き出せなければ意味がない。それに、すべての女性がメールアドレスを教えてくれるとは限らない。なかには警戒心が強い女性もいて、サイトを通しての間接的なメール交換のみを望むケースもある。そして、たいていそんな女性とのメールは長続きしない。早々と自然消滅するのがオチなのだ。
僕としてはサイトを通しての間接的なメール交換よりも、お互いのケータイを直接通しての“直メール”によるメール交換が良いのだ。
その理由は、僕の性急さにあった。
手っ取り早くカノジョを作りたい僕としては、メールアドレスを教えてくれない女性とのサイト経由メールは“見込み”が薄いと判断してしまう。そしてそれは時間の無駄だと思えてしまうのだ。
逆に、メールアドレスを教えてくれる女性は僕に対する警戒心が薄い、別の言い方をすれば、ガードが甘いわけなので“見込み”ありと判断できる。性格的にも少し気が短い僕としては、カノジョになりそうもない見込みの薄い女性と悠長なメールなどしたくはなかった。そんなことをするくらいなら“見込み”ありの女性を新たに探し出すことに時間を費やすほうが良いのだ。
僕が書き込んだコメントへの返信があった六件の女性のうち、メールアドレスを聞き出せたのは三件だった。
三件の女性は岩手、大阪、宮崎在住だった。
三人とも東京から遠い。
これでは、せっかくメールで仲良くなったとしても簡単には会えない。しかも岩手の女性にはカレシがおり、宮崎の女性は主婦だった。カレシ持ちや主婦相手では見込みナシなので、そのような相手に対しては情熱が瞬く間に冷めていった。当然、岩手や宮崎のメル友とは、次第にメールを交わす頻度が減っていった。やがて僕のケータイのアドレス帳には、彼女たちのハンドルネームとメールアドレスが無機質のように残るだけとなるのだった。
三件の女性のうち、メールが続いたのが大阪のメル友“りな”だった。年齢は僕と同じ二十三歳で、カレシはいないらしい。
“りな”とは毎朝の『おはよう』メールから、深夜の『おやすみ』メールまで一日五、六回ほどメールを交わした。カレシがいない女性とのメールは、僕にとって希望に満ちた存在であり、それはもう楽しいメールだった。
そんなメールを数日交わしていると次第にメールの内容が変化してくる。女性と二人だけで交わすメールというのは、男にとってある種の興奮を覚えさせ、次第にそれは下心となってくる場合があるのだ。
下心というのは時として正しい判断を狂わせるもの。そしてそれは夜になると露わになり始める。やがてついに僕の下心は、文章化されたメールとなって、大阪の“りな”まで飛んでいったのだった。
『エッチな話をしようよ』
そんなメールを送信した僕は、折りたたみ式のケータイを閉じて“りな”からの返信をワクワクしながら待った。
しかし、なかなかメールの返信が来ない。
いつもならすぐに返信があるものなのに、僕のケータイは、いつまでたってもメール着信のメロディが鳴ることがなかった。
シャワーでも浴びているのかな?
僕は何度も何度もケータイを開いて画面をチェックしてみるけれど、着信を知らせるメールのマークを認めることができなかった。もしかしたらメールサーバーにメールが留まっているのかもしれないと思い、新着メール確認を何度も何度も行ってみたけれど、誰からのメールも見当たらなかった。
結局、その夜は“りな”からの返信はなかった。
夜十時を過ぎているし、きっと眠ってしまったんだ・・
そう解釈した僕ではあったけれど、女性とエッチなメールのやりとりをしたくてしょうがなくなっていたので、疎遠になっていた岩手と宮崎のメル友に久しぶりにメールを送ることにした。うまくすればエッチなメールを交わせるかもしれないと考えたからだった。
『元気してる?』
まずは返事をくれるかどうかを試す意味で簡潔な文章のメールを送ってみた。
しかし、岩手と宮崎のどちらからも返信はなかった。
なんとも寂しい夜になったのだった。
☆
(次回の、小説『ネット恋愛』の更新は9月21日の予定です)
第5話 大阪のメル友
僕は手始めに、十件の女性を選んで簡潔なコメントを残した。彼女たちの住まいは東北、関東、東海、関西、九州など全国各地に及んでいた。やがてそれら十件のうち、六件から返信があった。返信確率としては上出来なほうだ。
しかし返信があったからといって喜ぶのはまだ早い。六件の返信があってもメールアドレスを聞き出せなければ意味がない。それに、すべての女性がメールアドレスを教えてくれるとは限らない。なかには警戒心が強い女性もいて、サイトを通しての間接的なメール交換のみを望むケースもある。そして、たいていそんな女性とのメールは長続きしない。早々と自然消滅するのがオチなのだ。
僕としてはサイトを通しての間接的なメール交換よりも、お互いのケータイを直接通しての“直メール”によるメール交換が良いのだ。
その理由は、僕の性急さにあった。
手っ取り早くカノジョを作りたい僕としては、メールアドレスを教えてくれない女性とのサイト経由メールは“見込み”が薄いと判断してしまう。そしてそれは時間の無駄だと思えてしまうのだ。
逆に、メールアドレスを教えてくれる女性は僕に対する警戒心が薄い、別の言い方をすれば、ガードが甘いわけなので“見込み”ありと判断できる。性格的にも少し気が短い僕としては、カノジョになりそうもない見込みの薄い女性と悠長なメールなどしたくはなかった。そんなことをするくらいなら“見込み”ありの女性を新たに探し出すことに時間を費やすほうが良いのだ。
僕が書き込んだコメントへの返信があった六件の女性のうち、メールアドレスを聞き出せたのは三件だった。
三件の女性は岩手、大阪、宮崎在住だった。
三人とも東京から遠い。
これでは、せっかくメールで仲良くなったとしても簡単には会えない。しかも岩手の女性にはカレシがおり、宮崎の女性は主婦だった。カレシ持ちや主婦相手では見込みナシなので、そのような相手に対しては情熱が瞬く間に冷めていった。当然、岩手や宮崎のメル友とは、次第にメールを交わす頻度が減っていった。やがて僕のケータイのアドレス帳には、彼女たちのハンドルネームとメールアドレスが無機質のように残るだけとなるのだった。
三件の女性のうち、メールが続いたのが大阪のメル友“りな”だった。年齢は僕と同じ二十三歳で、カレシはいないらしい。
“りな”とは毎朝の『おはよう』メールから、深夜の『おやすみ』メールまで一日五、六回ほどメールを交わした。カレシがいない女性とのメールは、僕にとって希望に満ちた存在であり、それはもう楽しいメールだった。
そんなメールを数日交わしていると次第にメールの内容が変化してくる。女性と二人だけで交わすメールというのは、男にとってある種の興奮を覚えさせ、次第にそれは下心となってくる場合があるのだ。
下心というのは時として正しい判断を狂わせるもの。そしてそれは夜になると露わになり始める。やがてついに僕の下心は、文章化されたメールとなって、大阪の“りな”まで飛んでいったのだった。
『エッチな話をしようよ』
そんなメールを送信した僕は、折りたたみ式のケータイを閉じて“りな”からの返信をワクワクしながら待った。
しかし、なかなかメールの返信が来ない。
いつもならすぐに返信があるものなのに、僕のケータイは、いつまでたってもメール着信のメロディが鳴ることがなかった。
シャワーでも浴びているのかな?
僕は何度も何度もケータイを開いて画面をチェックしてみるけれど、着信を知らせるメールのマークを認めることができなかった。もしかしたらメールサーバーにメールが留まっているのかもしれないと思い、新着メール確認を何度も何度も行ってみたけれど、誰からのメールも見当たらなかった。
結局、その夜は“りな”からの返信はなかった。
夜十時を過ぎているし、きっと眠ってしまったんだ・・
そう解釈した僕ではあったけれど、女性とエッチなメールのやりとりをしたくてしょうがなくなっていたので、疎遠になっていた岩手と宮崎のメル友に久しぶりにメールを送ることにした。うまくすればエッチなメールを交わせるかもしれないと考えたからだった。
『元気してる?』
まずは返事をくれるかどうかを試す意味で簡潔な文章のメールを送ってみた。
しかし、岩手と宮崎のどちらからも返信はなかった。
なんとも寂しい夜になったのだった。
☆
(次回の、小説『ネット恋愛』の更新は9月21日の予定です)
第①章 出会い
第4話 メル友募集掲示板
チャットから離れた僕は、すぐに簡易インターネットで興味深いサイトを見つけた。
それは『メル友募集掲示板』だった。しかも無料で利用できるのである。
僕は、これなら最初から一対一でメールが交わせるメル友を作ることができると喜び、すぐに飛びついた。そしてさっそくメル友募集掲示板に登録した。そのサイトでのハンドルネームは、自分の名前の一部である『ヒロ』に決めた。ハンドルネームを登録後に簡単なプロフィールを入力、そして募集掲示板にメル友募集の書き込みを行った。
『東京都内に住む二十三歳の男です。メル友を募集していますのでよろしくお願いします』
なんとも簡潔な文章だった。しかし他の登録者たちのメル友募集の書き込みも同じように簡潔な文章ばかりだったので、とくに文章を工夫しようなんて考えは浮かばなかったのだった。
僕が利用を始めたメル友募集掲示板は、まだ世間にあまり認知されていなかった。そのため、こうした類のサイトを犯罪に利用するという発想さえまだ世間に生まれていなかった。それもあって、メールを交わす楽しみを覚えた人たちは、ハンドルネームを使ってメル友を募集していたのだった。
僕は、女性たちが書き込んだプロフィール掲示板を見ながら、どの女性とメル友になろうかと心を躍らせた。それはまるで、美味しそうな料理が並ぶバイキングのテーブルを眺めているような気分だった。
掲示板には、白黒のケータイ画面を通して並んでいる文章のみが表示されている。カメラが搭載されたケータイなど世の中に存在せず、ケータイによる画像の送受信技術も実用化されていないため、掲示板には顔画像などは存在しない。そのため、女性を選ぶ基準は、相手の年齢や住んでいる地域などの文章による簡潔なプロフィール、そして募集コメントの内容で判断するしかなかった。だからといってそういったことが不便だと思うことはなく、むしろそれが当たり前であり、また新鮮な楽しみを味わわせてくれた。
僕は、ケータイ画面のメル友募集掲示板を見つめながら、女性たちが書き込んだ掲示板に手当たり次第にコメントを書き残していった。
『東京に住む二十三歳の男です。よかったらメル友になってください』
こんな簡潔で面白みに欠けるコメントでも高確率で女性から返信があった。
それほどにメル友募集掲示板の利用者、とくに男性の利用者はまだ少なかったのである。
メル友募集掲示板に何らかの書き込みを残し、その書き込みに対して誰かがコメントを残したとする。するとそのサイトを通してケータイに直接、通知メールが届く。そして通知メールに従ってサイトにアクセスし、書き込まれたコメントに対して返信をすると、それもまたサイトを通して相手のケータイに直接、メールが届くというシステムになっていた。だからいきなり、お互いのメールアドレスが公開されている状態で直接メールを交わすということはない。そういったシステムも、メル友募集掲示板が気軽に安心して利用される理由になっていたのだった。
☆
(次回の更新は9月18日の予定です)
第4話 メル友募集掲示板
チャットから離れた僕は、すぐに簡易インターネットで興味深いサイトを見つけた。
それは『メル友募集掲示板』だった。しかも無料で利用できるのである。
僕は、これなら最初から一対一でメールが交わせるメル友を作ることができると喜び、すぐに飛びついた。そしてさっそくメル友募集掲示板に登録した。そのサイトでのハンドルネームは、自分の名前の一部である『ヒロ』に決めた。ハンドルネームを登録後に簡単なプロフィールを入力、そして募集掲示板にメル友募集の書き込みを行った。
『東京都内に住む二十三歳の男です。メル友を募集していますのでよろしくお願いします』
なんとも簡潔な文章だった。しかし他の登録者たちのメル友募集の書き込みも同じように簡潔な文章ばかりだったので、とくに文章を工夫しようなんて考えは浮かばなかったのだった。
僕が利用を始めたメル友募集掲示板は、まだ世間にあまり認知されていなかった。そのため、こうした類のサイトを犯罪に利用するという発想さえまだ世間に生まれていなかった。それもあって、メールを交わす楽しみを覚えた人たちは、ハンドルネームを使ってメル友を募集していたのだった。
僕は、女性たちが書き込んだプロフィール掲示板を見ながら、どの女性とメル友になろうかと心を躍らせた。それはまるで、美味しそうな料理が並ぶバイキングのテーブルを眺めているような気分だった。
掲示板には、白黒のケータイ画面を通して並んでいる文章のみが表示されている。カメラが搭載されたケータイなど世の中に存在せず、ケータイによる画像の送受信技術も実用化されていないため、掲示板には顔画像などは存在しない。そのため、女性を選ぶ基準は、相手の年齢や住んでいる地域などの文章による簡潔なプロフィール、そして募集コメントの内容で判断するしかなかった。だからといってそういったことが不便だと思うことはなく、むしろそれが当たり前であり、また新鮮な楽しみを味わわせてくれた。
僕は、ケータイ画面のメル友募集掲示板を見つめながら、女性たちが書き込んだ掲示板に手当たり次第にコメントを書き残していった。
『東京に住む二十三歳の男です。よかったらメル友になってください』
こんな簡潔で面白みに欠けるコメントでも高確率で女性から返信があった。
それほどにメル友募集掲示板の利用者、とくに男性の利用者はまだ少なかったのである。
メル友募集掲示板に何らかの書き込みを残し、その書き込みに対して誰かがコメントを残したとする。するとそのサイトを通してケータイに直接、通知メールが届く。そして通知メールに従ってサイトにアクセスし、書き込まれたコメントに対して返信をすると、それもまたサイトを通して相手のケータイに直接、メールが届くというシステムになっていた。だからいきなり、お互いのメールアドレスが公開されている状態で直接メールを交わすということはない。そういったシステムも、メル友募集掲示板が気軽に安心して利用される理由になっていたのだった。
☆
(次回の更新は9月18日の予定です)
第①章 出会い
第3話 チャット
ある日のこと、僕はケータイの簡易インターネットで『チャット』と呼ばれるサイトを知った。
チャットとはコンピューターのネットワークを利用して、主に掲示板などを通して、リアルタイムで文字による会話を行うシステムのこと。ケータイひとつで、通話することなく手軽に他人とのコミュニケーションが行える。しかも無料で利用できるということで、暇人な僕はチャットを始めてみたのだった。
チャットでは、利用者たちはハンドルネームと呼ばれるインターネット上での名前を使って文字による会話を行う。
ハンドルネームは自由に名づけることができる。僕は『スナフ』というハンドルネームを使ってチャットを始めた。
しかしすぐに問題にぶち当たった。
チャットには『ルーム』と呼ばれる幾つかのチャット用の掲示板があり、ひとつのルームには複数の利用者が参加できる。しかし集団の中で会話をすることが得意でない僕は、多人数によるチャットの中で、チャット利用者たちの“会話”から取り残されるようになったのだ。チャットでの会話の流れに上手く乗れないと孤立してしまい、そうなるとつまらなくなってしまう。そうなってはチャットのサイトから、自分から“落ちて”いくしかなかった。
しかし毎回そのようなパターンになるとは限らなかった。時にはルームの中で話題の中心となり、複数の人と上手くチャットができることもあった。だけどそんなことは稀だった。
やがてチャットをやめたくなる出来事が起こったのだった。
チャットがきっかけで、少しばかり親しくなった女性がいた。彼女は二十一歳。それが事実なら僕よりも二歳年下ということになる。
チャットの中で、二十一歳の女性と二人きりになったときに、彼女に求められるままにメールアドレスを交換した。それは僕にとって、初めてのメル友ができた瞬間だった。そして僕は、女性との初めてのメールに興奮した。なぜなら、女性との一対一でのメールのやりとりは、まるで密室で二人きりで会話をするような感覚を覚えさせたからだった。
もしこのままメールを通して仲良くなれば、この“メル友”の女性と付き合えるかもしれない。そんな期待を膨らませていたら、ついにその女性から誘いのメールが来た。
『今度、池袋でオフ会をするので参加しませんか?』
オフ会とは、チャットなどのネット上で知り合った者同士が、実際に集まって飲み会などを行うこと。
オフ会ということは、あのチャットの常連メンバーたちで集まるということか。
メル友の女性と二人だけで会えると期待していた僕は落胆した。だけど、メル友女性の顔を見てみたいという理由だけで、オフ会に参加することに決めた。
やがて週末の土曜の夜、池袋の繁華街にある居酒屋に集まったのは、僕を含めて六人。女性はメル友である彼女ひとりだけ。彼女はなかなか可愛い顔をしていた。
しかし僕は、衝撃の事実を知ることになる。
なんと、オフ会に参加している男性陣すべてが、彼女のメル友でもあったのだ。さすがにこの事実を知った僕は、彼女を独占できているという自分の思い込みに面食らってしまった。そのうえ、今回のオフ会参加者の僕以外のメンバーたちは、ずっと以前からの仲良しグループだったのだ。当然、新入りの僕は、そんな彼らに馴染むことができなかった。そしてついに、チャットのみならずオフ会での会話からも取り残されてしまったのだった。
そんなつまらない思いをしたオフ会終了後、参加者唯一のメル友女性と池袋繁華街の通りで二人きりになった。僕は、彼女と何を話すこともなく、ただ道路の端に腰を下ろして夜の通行人たちを眺め続けた。彼女は、オフ会で孤立してしまった僕に申し訳なく思ったのか、気を使って一緒にいるようだった。
「今度は二人きりで飲みたい」
僕は唐突にそう呟いた。
「また次のオフ会のときに飲もうね」
僕からのさりげない誘いは、彼女にさりげなくかわされた。
やがて、一緒にいる彼女の退屈そうな表情を見てとった僕は帰ることにした。
僕は、オフ会に参加した土曜日以降も、何となくチャットに参加し続けた。しかし、メル友女性から届いた一通のメールがきっかけで、チャットから離れることに決めた。
『明日からルームの男の子たちと実家のある秋田県に行くのでチャットはお休みします』
このメールを読んだ僕は疎外感を覚えた。そして彼女との関係に発展の見込みがないことを痛切に感じた。同時に、チャットに対しても面白みを感じることはなくなった。
こうして、それが彼女との最後のメールになったのだった。
☆
第3話 チャット
ある日のこと、僕はケータイの簡易インターネットで『チャット』と呼ばれるサイトを知った。
チャットとはコンピューターのネットワークを利用して、主に掲示板などを通して、リアルタイムで文字による会話を行うシステムのこと。ケータイひとつで、通話することなく手軽に他人とのコミュニケーションが行える。しかも無料で利用できるということで、暇人な僕はチャットを始めてみたのだった。
チャットでは、利用者たちはハンドルネームと呼ばれるインターネット上での名前を使って文字による会話を行う。
ハンドルネームは自由に名づけることができる。僕は『スナフ』というハンドルネームを使ってチャットを始めた。
しかしすぐに問題にぶち当たった。
チャットには『ルーム』と呼ばれる幾つかのチャット用の掲示板があり、ひとつのルームには複数の利用者が参加できる。しかし集団の中で会話をすることが得意でない僕は、多人数によるチャットの中で、チャット利用者たちの“会話”から取り残されるようになったのだ。チャットでの会話の流れに上手く乗れないと孤立してしまい、そうなるとつまらなくなってしまう。そうなってはチャットのサイトから、自分から“落ちて”いくしかなかった。
しかし毎回そのようなパターンになるとは限らなかった。時にはルームの中で話題の中心となり、複数の人と上手くチャットができることもあった。だけどそんなことは稀だった。
やがてチャットをやめたくなる出来事が起こったのだった。
チャットがきっかけで、少しばかり親しくなった女性がいた。彼女は二十一歳。それが事実なら僕よりも二歳年下ということになる。
チャットの中で、二十一歳の女性と二人きりになったときに、彼女に求められるままにメールアドレスを交換した。それは僕にとって、初めてのメル友ができた瞬間だった。そして僕は、女性との初めてのメールに興奮した。なぜなら、女性との一対一でのメールのやりとりは、まるで密室で二人きりで会話をするような感覚を覚えさせたからだった。
もしこのままメールを通して仲良くなれば、この“メル友”の女性と付き合えるかもしれない。そんな期待を膨らませていたら、ついにその女性から誘いのメールが来た。
『今度、池袋でオフ会をするので参加しませんか?』
オフ会とは、チャットなどのネット上で知り合った者同士が、実際に集まって飲み会などを行うこと。
オフ会ということは、あのチャットの常連メンバーたちで集まるということか。
メル友の女性と二人だけで会えると期待していた僕は落胆した。だけど、メル友女性の顔を見てみたいという理由だけで、オフ会に参加することに決めた。
やがて週末の土曜の夜、池袋の繁華街にある居酒屋に集まったのは、僕を含めて六人。女性はメル友である彼女ひとりだけ。彼女はなかなか可愛い顔をしていた。
しかし僕は、衝撃の事実を知ることになる。
なんと、オフ会に参加している男性陣すべてが、彼女のメル友でもあったのだ。さすがにこの事実を知った僕は、彼女を独占できているという自分の思い込みに面食らってしまった。そのうえ、今回のオフ会参加者の僕以外のメンバーたちは、ずっと以前からの仲良しグループだったのだ。当然、新入りの僕は、そんな彼らに馴染むことができなかった。そしてついに、チャットのみならずオフ会での会話からも取り残されてしまったのだった。
そんなつまらない思いをしたオフ会終了後、参加者唯一のメル友女性と池袋繁華街の通りで二人きりになった。僕は、彼女と何を話すこともなく、ただ道路の端に腰を下ろして夜の通行人たちを眺め続けた。彼女は、オフ会で孤立してしまった僕に申し訳なく思ったのか、気を使って一緒にいるようだった。
「今度は二人きりで飲みたい」
僕は唐突にそう呟いた。
「また次のオフ会のときに飲もうね」
僕からのさりげない誘いは、彼女にさりげなくかわされた。
やがて、一緒にいる彼女の退屈そうな表情を見てとった僕は帰ることにした。
僕は、オフ会に参加した土曜日以降も、何となくチャットに参加し続けた。しかし、メル友女性から届いた一通のメールがきっかけで、チャットから離れることに決めた。
『明日からルームの男の子たちと実家のある秋田県に行くのでチャットはお休みします』
このメールを読んだ僕は疎外感を覚えた。そして彼女との関係に発展の見込みがないことを痛切に感じた。同時に、チャットに対しても面白みを感じることはなくなった。
こうして、それが彼女との最後のメールになったのだった。
☆
第①章 出会い
第2話 東京暮らし
一九九九年、東京・南葛西
僕の名前は藤井裕晃。二十三歳。
地方からひとり上京して数年、憧れの東京で自由を謳歌していた。しかし生活は決して豊かとは言えない。
僕の東京での生活はワンルーム暮らしで借金を抱え、収入は日払いのアルバイトで得られるのみ。しかし日払いとは言え職場は固定しており、週に五、六日は働くことができるから僕にとっては申し分ない。ただ、職場がある品川埠頭の港倉庫は、アパートから近い距離にあるとは言い難い。その通勤ルートと言えば、葛西臨海公園駅から品川駅までJRで移動、そして品川駅からはバスで品川埠頭まで向かうというものだ。距離的には大したことがないのに、通勤時間は二時間近く掛かる。しかし、ほとんど貯えがない僕には、例え職場が少し離れていても、日払いの仕事を選ばざるを得ない状況なのだ。
東京における知人も少なく、愛知県出身の僕には故郷にしか友人がいない。
当然、カノジョもいない。
休日になれば、独りで新宿辺りまで出向いてゲームセンターで遊ぶだけ。そしてまた葛西まで戻るという何とも寂しい休日を送っていた。
時には大好きな東京の夜景を独りで眺めて過ごすこともあった。首都高速湾岸線を跨ぐ歩道橋の上から、眼下を行き交う車のヘッドライトや道路脇の街灯、そして都心方向に認められる高層ビルの夜景を一纏めに眺めながら、ひとり心をときめかせるのだ。
大好きな夜景をいつか素敵な恋人と一緒に眺めたい。
それは僕にとって最高のロマンスであり憧れであり、僕が描く東京生活に必要不可欠なものだった。
カノジョが欲しい、だけど出会いがない。
そして好きな人さえいない。
僕にとって最高のロマンスは、はるか夢の彼方にあるように思えたのだった。
☆
第2話 東京暮らし
一九九九年、東京・南葛西
僕の名前は藤井裕晃。二十三歳。
地方からひとり上京して数年、憧れの東京で自由を謳歌していた。しかし生活は決して豊かとは言えない。
僕の東京での生活はワンルーム暮らしで借金を抱え、収入は日払いのアルバイトで得られるのみ。しかし日払いとは言え職場は固定しており、週に五、六日は働くことができるから僕にとっては申し分ない。ただ、職場がある品川埠頭の港倉庫は、アパートから近い距離にあるとは言い難い。その通勤ルートと言えば、葛西臨海公園駅から品川駅までJRで移動、そして品川駅からはバスで品川埠頭まで向かうというものだ。距離的には大したことがないのに、通勤時間は二時間近く掛かる。しかし、ほとんど貯えがない僕には、例え職場が少し離れていても、日払いの仕事を選ばざるを得ない状況なのだ。
東京における知人も少なく、愛知県出身の僕には故郷にしか友人がいない。
当然、カノジョもいない。
休日になれば、独りで新宿辺りまで出向いてゲームセンターで遊ぶだけ。そしてまた葛西まで戻るという何とも寂しい休日を送っていた。
時には大好きな東京の夜景を独りで眺めて過ごすこともあった。首都高速湾岸線を跨ぐ歩道橋の上から、眼下を行き交う車のヘッドライトや道路脇の街灯、そして都心方向に認められる高層ビルの夜景を一纏めに眺めながら、ひとり心をときめかせるのだ。
大好きな夜景をいつか素敵な恋人と一緒に眺めたい。
それは僕にとって最高のロマンスであり憧れであり、僕が描く東京生活に必要不可欠なものだった。
カノジョが欲しい、だけど出会いがない。
そして好きな人さえいない。
僕にとって最高のロマンスは、はるか夢の彼方にあるように思えたのだった。
☆
ネット恋愛
第一章 出会い
第1話 回想
二○一四年、東京・葛西臨海公園
ふらり、と散歩にやってきた僕は、東京湾を一望できるベンチに腰を下ろした。そのとき、袖をまくりあげた左腕の前腕部にナイフの傷跡を認めたものの、まったく意に介すことはなかった。
ベンチの正面には遊歩道をはさんで柵越しに海面が広がっている。そしてはるか遠くには、何隻もの貨物船がまるで止まっているかのように見える。
五月の空は青く澄んでいて日差しも優しく、しばらくベンチに座っていても暑さに追い立てられることはなさそうだ。
いま、妻は三歳の娘を連れて買い物に出かけている。その間、江戸川区南葛西の自宅マンションから葛西臨海公園まで歩いて出てきたわけだが、環七通り沿いの歩道は馴染みすぎた風景なため退屈に感じた。しかし葛西臨海公園の敷地内に足を踏み入れると、僕の視界は大きく広がり始める。さらに僕の視界に東京湾が入ることで口元が緩み始める。そして海辺にある、お気に入りのベンチに座ることで散歩の目的地に到着できるのだった。
散歩の目的地に到着した安堵感で心身ともに落ち着いた僕は、ぼんやりと海を眺め始めた。
そのとき突然、ピロリンと音がして上着の内ポケットから微弱な振動を感じた。僕は内ポケットからスマートフォンを取り出すと、その画面からメールの着信を認めた。そしてすぐに画面上のメール・アイコンを人差し指でタップして受信メールを確認する。メールは妻からだった。
さっそくメールを開いて読んでみる。
『今夜はカレーにするけど、ビーフとシーフード、どっちがいい?』
どちらでも良いのに、と思ったものの、妻は、僕がビーフもシーフードも好きなことを知っているからこそ気を利かして尋ねてくれたのだ。そんな妻に愛しさを感じて思わず微笑んだ僕は、素早い指先の動きでメール文章を作成して妻に返信した。
『シーフードでいいよ。ありがとね』
妻にメールを送信したあと、思わずスマホの画面を見つめた。
思えばケータイも進化したものだ。画面に指を触れるだけでメールを作成したり動画を見たり、いとも簡単にインターネットにアクセスして、スマホひとつで様々な情報を収集できる。さらに、スマホに搭載されたカメラで撮影した画像を編集して、送信までできるのだから。
今から十五年ほど前のケータイといえば、通話とメールの送受信、そして簡易なインターネットができるくらいの代物だった。当然、カメラ機能なんて搭載されていなければ、画像を送信することもできなかった。おまけに画面は白黒で、絵文字も現在ほど豊富ではなかった。それでも当時の僕たちにとっては画期的なアイテムであり、コミュニケーションに欠かせない重要なツールだったのだ。
やがて手軽にメールができるようになったことで、ケータイからアクセスできる簡易インターネットには『メル友募集掲示板』や『チャット』などのサイトが生まれた。それは現在では『出会い系サイト』と呼ばれ、時には犯罪の温床となることがある。そのため『出会い系サイト』は、いかがわしいものとして受け止められがちだ。しかし当時の、まだ初期のメル友募集掲示板は純粋にメル友を作るためのサイトであり、現在でいう『サクラ』などは存在せず、しかも完全に無料だった。そしてそれは確かで安全なサイトであり得たのだった。
だから当時の僕は、そういったメル友募集掲示板に対して何ら警戒することなく利用して、数多くのメル友を作ったものだった。やがてそんなメル友募集掲示板は、出会いを求める者がメル友をきっかけとして恋人を作る手段となり、そしてそれはネット恋愛が世間に広がるきっかけとなっていった。
「そう、あの頃の僕はネット恋愛に夢中になっていたのだ・・」
僕は、左腕に残るナイフの傷跡を見つめながら、十五年前の出来事に思いを馳せたのだった。
☆
いよいよ、2年ほどかけて書き上げた小説『ネット恋愛』を当ブログ上で連載することになります。
しかし100%の完成というわけではありません。
なぜなら、あとから読み返すと修正の余地が、いつ見出されるかわからないからですw
3日前に読んでも何とも思わなかった箇所が、今日改めて読み直したら修正したほうが良い、などと思ったりする場合も無きにしも非ずだからです。
小説『ネット恋愛』では、ひらがな表記が目立つと思います。
それは、漢字を多用しすぎることで読者に堅苦しい印象を与えたくないためです。
個人的に、文章という見た目はソフトであるほうが良いと思うのです。
今回、読みやすいこと、そして読者に展開を読まれないこと・・・それらを心がけて執筆したつもりですが、必ずしも、そんな出来栄えになっているかどうかは分かりません。
最終的に、それは読者が判断することだと思っています。
あと物語のなかには、恋愛小説に付き物とも言えるラブシーンがあります。
もちろんベッドシーンもあります。
男と女の関わりを描くなかでは避けては通れない場面ですが、可能な限りエロティックに、そして露骨な表現にならないよう心がけて書きました。
この物語は官能小説ではないけれど、しかし、ラブシーンを淡泊に済ませてしまうのも味気ないと思い、多少は読者を楽しませられるようには心がけました(笑)
そしてこの物語の主人公である男性の心理描写の内容は、あくまで数多くの男性の中の一例にしか過ぎません。
ですので、この物語の男性心理を、あくまでも参考程度に留めてもらえたらと思います。
ちなみに小説『ネット恋愛』は4つの章によって分かれています。ですので細かな目次はありません。
既存の小説の形式にこだわらず、あくまで内容を楽しんでいただければと思っています。
そして小説『ネット恋愛』は、生きた人間の物語だと思っていただければと・・・。
Hiroyasu Kato
☆
以前、長きにわたって続けてきた【大航海時代online】ブログをリニューアルしました!
そして、あくまでもプライベートなブログとして再開させました♪
主に、小説連載用として運営していくつもりです。
そのため、アメブロ版の【堕天使のハープ】をメインとして更新していきます。
そんなわけで今後とも、よろしくお願いします☆ミ
(^O^)
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